ひろく、あまねく

学んだこと、考えたこと、経験したこと、おもしろい、楽しい、美しいと思ったこと、素敵だと感じたこと…そんなことを「ひろく、あまねく」共有していく場

中華そば さとう

2016/08/09

 

穴守稲荷駅から徒歩7分。

近くの企業に行ったついでに訪れてみた。

外の気温は35度…とける…。

開店と同時に入店。

鰹節のいい香りが漂う店内。

中華そば(大)…700円。

麺の量は約200gとのこと。

さっぱりとした素朴な味わいが優しい。

 

アクセス的には少し不便ですが、近くに用事などがあった際はぜひ。駅前にもあまり飲食店はないので、どうせ歩くなら美味しいお店へ☺︎

 

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とあるまち part8(水上集落編完結)

私は結局その集落に3年に渡ってなんども訪れた。住民との信頼関係が徐々に構築されていき、ホームステイできるまでにもなった。子供たちもだんだんと名前を覚えてくれた。

 
私は団体のリーダーを務めるようになり、活動作りや住民との交流よりも、組織をマネジメントすることが一番の役割になっていった。
 
住民との関係が深まり、またボランティア団体への関わりがにつれて私の悩みも深くなっていった。今、私たちには一体何ができているのか。厳しい現実の前に打ちひしがれていた。
 
できないことよりもできることやできていること目を向けようじゃないか。ボランティアだとか、学生だとかそんなことは関係ない。やれることをやっていこう。世界は少しずつかえていける。
 
メンバーに対してはそういう風に鼓舞していたものの、自分自身の悩みは尽きなかった。いろんな意味における「力」が足りなすぎる。根本的に問題を解決したいのなら、やっぱり思いだけでは足りなくて、「力」が必要なんだ。専門性を身につけよう。「力」をつけよう。結論は出ていた。
 
そうして私はリーダーを務めたその渡航を最後に団体の前線からは退いて、後輩たちに後を託した。その後は後方支援という形で関わった。
 
 
就職が決まり、卒業を控えた最後の春休みにプライベートでその集落を訪れた。最後に訪問してから、2年が経っていた。みんな自分のこと忘れちゃってるかなと思いながら集落にはいった。するとこれまでと変わらず、子供たちが集まってきた。そして、私の手を引いて案内をしてくれようとする。通り過ぎる子供が自分の名前を呼んでくれた。そして、一番お世話になった家に入るとそこには二年前と変わらない笑顔があふれていた。
 
この二年間で学習したマレー語を使ってコミュニケーションをとった。みんな喜んでくれたし、驚いていた。直接コミュニケーションが取れることが嬉しかった。仲の良かったその家の子供は大きくなっていた。お兄さんのほうは不良グループの仲間入りをしたらしく、小さい身体に似合わないタバコを一丁前にふかしていた。それでもかつての笑顔が変わっておらず、集落を案内してくれた。
 
帰りの乗合タクシーの中で私は泣いていた。嬉しさもあった。自分の無力さへの悔しさもあった。社会人になることへの不安もあっただろう。涙が止まらなかった。
 
あれから3年が経った。私は社会人3年目を終えようとしている。団体はいまでも活動を続けているが、活動が変わっていた。あの集落にはもう行かなくなってしまったのだ。二度の大火に見舞われ、また政府の監視も厳しくなったこともあり、そういう判断を下したようだ。
 
そして、先日、あの集落がいよいよ解体され、住んでいる人はそれぞれ別のエリアに移住させられることになるという情報が入ってきた。ついにやってきたか。そんな気持ちだった。
 
社会人になり、それなりの仕事をさせてもらっている自覚はあるし、望んでいた「力」は少しずつ身につけられてきていると思う。しかしどうだろう。あの時抱いていた思いや、志、情熱やエネルギーは同じように持てているだろうか。答えは否、である。
 
しかし、あの時全身全霊で活動に打ち込んでいた自分の気持ちは本物だったと思う。本気だったと胸を張って言える。だからこそ、いまの自分が不甲斐ない。悔しい。もどかしい。
 
もう訪れることはないだろうと思っていたが、解体の知らせに気持ちが動かされた。最後にもう一度みんなに会いたい。集落の喧騒に身を投じたい。丘から見える景色を目に焼き付けたい。
 
それは自分にとっても、新たな旅立ちになるだろう。
 
水上集落編 完。

とあるまち part7(水上集落編)

その集落はいくつかのブロックに分けられており、それぞれにアルファベットが順番に割り振られていた。Hブロック以降は政府が作ったものではなく、不法に定住し始めた移民たちが建設をしたものであり、作りが明らかにオンボロである。そこに立ち入った瞬間から雰囲気が変わるのが肌感覚でわかるのだ。

 
印象的なエピソードを一つ紹介しよう。
 
集落では英語はもちろん通じない。彼らの本来の言葉はバジャウ語になるが、コミュニケーション言語はマレー語になる。マレー語については、ローカルのマレーシア人学生に通訳を協力してもらうことで、やりとりをなんとか成り立たせていた。
 
協力してくれる学生の中に、とにかくガタイがよく、男らしさに溢れていて、喧嘩も強い、学生がいた。私たちといるときは常にメンバーのことを気遣ってくれて、本当に頼りになる人だった。彼と一緒にそのHブロックに立ち入ろうとした時に、彼は本気で私を止めた。そして、
とにかく嫌がった。
 
「ここから奥にだけは行かないほうがいい。本当に止めたほうがいい。お前はマレー語がわからないから平気かもしれないが、俺はわかってしまう。ここより奥の人たちは必ずしもお前達に好意を持っているわけではない。ここから奥は特別なんだ。だから、やめよう。」
 
彼が言うなら絶対に止めたほうがいい。そう思い、私たちは引き返した。その姿をみて、Hブロックの入り口にあるビリヤード上でたむろっていた若者たちが中指を立て、ニタニタと笑っていた。ボロボロになった歯が覗いていた。
 
つづく。

とあるまち part6(水上集落編)

この水上集落は1000人を超えるフィリピン人移民が住んでいると言われていた。マレーシア政府ですらもその正確な人数は把握できていないという。私たちの団体が実施したフィールドワークにて調査では、人口は4000人、合法移民と不法移民に分かれており、合法移民の中には政府の選挙キャンペーンの一環として、市民権を付与された人々もいる。集落は拡大を続け、奥に行けば行くほど家の造りも粗雑になっていく。

 
電気は盗電によって賄われており、ゴミ収集や教育などの行政サービスは行き届いていない。この集落の人々は近くの大型ショッピングモールでの清掃員や、魚の売買、その他移民ブローカーに斡旋された仕事などについている。
 
この集落の存在を政府は黙認している。しかし、我々のような外国人には知られたくないようで、活動にも厳しい目が光らされていた。
 
さて、そんな集落で私たちは活動を行っていた。ボランティアといっても誰かが企画してくれたツアーに乗っかって、決められたことをやるだけのものではない。仮説を立て、分析を行い、問題を自らで設定し、解決策を自分たちで考えて、現地のカウンターパートを巻き込んで、実行に移していく。そういった活動を行っていた。
 
活動の話はまた別の機会で話すことにしよう。
 
集落は活気に満ちていた。そして、子供の元気な姿が印象的だった。海の上に木で作られた集落はこれまで経験したことのないまちだった。
 
道は木の板でできている。一歩踏み外せば海へと落ちる。ボロボロになっていたり、隙間が大きいところがあったりと、かなりスリリングだ。危なそうなところは子供が教えてくれる。子供達は何も言わなくても、自然に集まってきて、自然に一緒に散歩することになる。先導する子、おんぶをねだる子、あとからこそこそとついてくる子、などなどいろんなタイプの子がいる。
 
家は基本的には一階建てで、きっちりとした玄関のようなものはない。広さはまちまちだが、だいたい30平米くらいか。家の中は、いかにも貧困といった雰囲気ではなく、むしろかなり清潔感あふれる空間に思えた。どこで買ってきたのか、超巨大なスピーカーが置いてある家も多く、爆音で音楽を流している家や、昼間っからカラオケをやっている家もあった。
 
水洗トイレなんてものはないので、そのまま海へGO、である。それが水質汚染の原因の一つとなっていた。多くの家はちょっとした商店のようなものを開いていた。駄菓子屋みたいなイメージである。
 
つづく。
 

とあるまち part5(水上集落編)

入り江に作られた水上集落を丘の上から眺めていた。燦燦と太陽が照りつけている。生ゴミの臭いと湿気が入り混じった不快な空気に思わずむせ返りそうになる。
 
子供達が集まってくる。アジノモト!とかナルト!とかアリガトウ!とか叫ぶ子供もいれば、カメラを物珍しそうに触ってくる子もいる。シャイな子供は遠くからこちらの様子を見ている。大人たちもいる。親しげに挨拶をしてくれる人もいれば、中指を立てて通り過ぎていく人もいる。
 
まちの入り口には韓国系のNPOが作った教育施設がある。そこには大きな木がそびえ立っているのだが、その木の上にはビニール袋を口に当てて、恍惚な表情を浮かべているも少年がいた。目のピントはあっておらず、遠くを眺めている。急に大きな声を上げたかと思うと、大人しくなる。彼の歯はボロボロだ。周りの子供が、彼を指差した後、自分の頭に手をやり、ニヤニヤしたながら指をくるくる回した。
 
「こいつは頭のやベーやつなんだ」
 
そんな風に言っているのだろう。あとから知ったことだが、一部の子供達の間ではタバコもだが、シンナーが流行っている。まちの中にあるパキスタン系の商人が靴に使う接着剤を売っているのだが、それをシンナー代わりに使っているのであった。
 
そんな風景を受け入れつつも、少しずつまちの中へと歩みを進めた。
 
つづく。
 
今週のお題「好きな街」

とあるまち part4(水上集落編)

ボルネオ島マレーシア領コタキナバルはヨーロッパの旅行客から人気のリゾート地である。タイのパタヤプーケットインドネシアバリ島など様々な人気の場所があるが、それらの有名どころと比べると、穴場ということになるだろう。日本人でも定年を迎えた夫婦やアーリーリタイアした人のロングステイ先としても人気だそうだ。居心地のよさにそのまま移住してくる人もいるという。
 
日本は第二次大戦中、コタキナバルを占領した経緯がある。そのためか、コタキナバルにはこんな噂があるのだ。
 
「夜、道端で横たわる日本兵を見た」
 
「日本兵の幽霊が街中を彷徨っている」
 
などなど。地元の学生はおもしろそうに語っていたが、日本人の立場からすると少し複雑な気持ちだ。
 
さて、ボルネオ島でのボランティアというと、どちらかといえば環境面での活動を想像する人も多いと思う。森林伐採保全活動とか、貴重な動植物の生育環境を守るなど。実際そういった活動をされている団体もあるのだが、私たちの団体は少し変わった活動を行っている。
 
私たちはフィリピン人移民のまちを対象に活動を行っていた。仕事を求めてきた人もいれば、少しでもよい経済環境に惹かれてきた人もいる。中には政治的な問題によって、こちらにきた人もいる。
 
そして、彼らはバジャウ族と言われる民族であった。海の漂流民、海のジプシーと言われることもある。最近テレビでも海の中を歩く民、みたいな感じで取り上げられることも増えてきている。
 
フィリピン人移民というだけでも今までに一度も接点がなかったような存在なのに…バジャウだと…と私の頭は期待と不安でごちゃごちゃになっていた。
 
そして、初めての訪問日がやってきた。その出会いがこれから続く足掛け2年間の第一歩になること、人生に大きな影響を与える出会いになることを、その時の私はまだ知る由もなかった。
 
つづく。
 

今週のお題「好きな街」

とあるまち part3(水上集落編)

エアコンがこれでもか!というくらい効いたロビーホールから、タクシー乗り場への歩みを進めるに連れて、私を包み込む空気が少しずつ変わっていくのを感じた。スーツケースを引いて、扉の外に出た瞬間、これまでに経験したことがない空気に包み込まれた。湿り気のつよい、ジメジメとして、ムッとして、独特の匂いのする空気だ。これが、熱帯の空気なのか…そう思った。
 
2010年の夏、私はコタキナバル国際空港に初めて降り立った。私にとって初の東南アジア、初のマレーシア、初のボルネオ島だった。打ち込める何かが欲しい、国際協力に携わりたい、理論だけでなくて、実践を積んでいきたい。そんな思いで、居場所を求めていたときに、私はボルネオ島を活動地とするボランティア団体と出会った。日本での2ヶ月の準備期間を経て、いよいよコタキナバルに到着したのだった。ワクワク感と少しの不安が入り混じっていた。
 
part3からは数回に渡って、このボランティア活動にて出会ったまち、人々の話をしていきます。
 
今週のお題「好きな街」